育児と介護が同時期に重なったお話
『ダブルケアって想像がつかないんだけど?』
『周りにいないし…ダブルケアってどんな感じ?』って聞ける人もいないし。
子育てだけでも大変なのに、介護まで重なってくるという事に不安を感じる。
同じような境遇の仲間に巡り会えないダブルケアラー。
そんな方々を含め、沢山の事を考えてる!感じてる!ママ達がいる。
ダブルケア=子育てしながら、認知症の家族のケア。だけでは、ありません。
今回は、筆者の実話をもとに『確かに苦労もあったけど、大切なことを教えてもらった』
そんな経験者のお話をお届けします。
急に始まった母親の介護
2015年、3月。
長男は2歳6ヶ月、長女は生後4ヶ月になる頃、私の母が急に病気を宣告されました。
頭の癌でした。私のダブルケアは急に始まったのです。
母は進行性の癌で、日に日に体調も悪くなり、仕事にも行けなくなり、食事も作れなくなり緊急入院となりました。
父を早くに亡くした私は、ひとりっ子で、母と私と二人三脚で過ごしてきた日々でした。
そんな頼りにしていた母が病気になるなんて…思ってもみませんでした。
病院に入院となり、長時間の手術、放射線治療「生きる」事を諦めなかった母を
どうにかして支えようと、毎日病院に通い、孫の顔を見せて励まし続けました。
退院と同時に在宅介護が始まりましたが、予後が悪く要介護度は上がって行くばかりでした。1日3食の食事の準備、母を支えながら下の子をおんぶして入浴介助、1時間おきのトイレ介助と、毎日綱渡りの介護が続きました。
その間に3人目を妊娠し、お腹がだんだんと大きくなっていく私。
段々とオムツが外れそうな息子。
そして、だんだんとトイレを失敗することが増える母。
複雑な思いでした。
目が離せなくなってくる母
家に帰ると私は「母さん、ただいま」と声をかけます。
母はトイレに行こうとしたのでしょう。
トイレのドアの前で大きな水たまりを作り、うなだれていました。
子ども達にはよく「ばぁばがおしっこ漏らしちゃったから、ちょっとここで待っててね」と言って、水溜りができている家にハイハイしている子供を家に連れて上がるわけにもいかず、仕方なくごめんね…と思いながら、車の中で待たせていたこともあります。
お菓子とジュースを与えると、お利口さんに待っていてくれていました。
ところが母は、『待ってて』が出来ない状況だったので、私は子どもたちに助けられていました。
母の涙
ある日、母をお風呂に入れている時。病気のせいで、身体も上手く動かせない、そして認知機能も落ちていく母は私に「なんでこんなことになってしまったんだろう」と言い、声にならない声で大きな涙を流して泣きました。
初めて見る母の涙でした。それを見て私も一緒に泣きました。
誰かに助けて欲しいけど、母も私もSOSが言えなかった。
そして、現実は毎日をこなすことで精一杯でした。
上手く外出も行けずに、介護から離れられるのは、幼稚園の送迎の車の中だけ。
友達にも自分のこと全ては話せずにいました。
子供達には我慢ばかりさせてしまってと。
母には、もうちょっとまともにケアしてあげれたらと。
自分を責め、罪悪感に押し潰されそうな日々でした。
ですが、子育ても介護も待ったなし。そして必死でした。
命の大切さ
母の最期は在宅看取りで、みんなで天国に送りました。
病院から「もう治療はできない」と言われ、どうしたらいいかとても悩みました。
家に帰るのは母の強い希望でしたが、家族は覚悟をして望まなければいけない事でした。
母の仕事は助産師で『命が産まれてくるその時に立ち会う仕事』にとても誇りを持っていました。そんな母だからこそ、自分の身体を最後まで使って『命というものはどんな物なのか』を私や子ども達に体現してくれました。
上の子はその時5歳でしたが、そんな強くて優しいおばあちゃんの生き方をきちんと受け継ぎ心優しい子に育っています。
母が側で見守ってくれていたらどんなに嬉しいか。
最後に
介護は急にやってきます。それは、親の介護か、パートナーの介護かわかりません。
もしくは、自分が介護される立場になるかもしれません。
身近な人の介護こそ、悩むものはありません。
- 困った時に、どこに相談しに行ったらいいか知っていますか?
- 介護保険の手続きの仕方はご存知ですか?
- 「要支援」や「要介護」などの言葉は聞いた事がありますか?
介護は決して高齢者だけの問題ではありません。
子育て世代にも急に降りかかってくる問題なのです。
それがダブルケア(育児と介護の同時進行)なのです。
家族のために、自分のために、ケアに備えをしましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。皆さんの心に届きますように。